古高俊太郎邸跡



阪急線河原町駅より徒歩5分。
高瀬側よりも西、小路の中にあります。
現在は「志る幸」という料理屋になっています。






梅田雲浜の元で勤王思想を学んだ古高は、同士の依頼で湯浅家の養子となり
枡屋湯浅喜右衛門と変名し、この地に「枡屋」を構え、密かに武器を集め
この場は、多くの志士が集う倒幕活動の拠点となっていました。
ところが、1864年(元治元年)6月5日早朝、新選組によって
古高は捕縛され、武器も押収されてしまいます。
壬生で過酷な拷問を受けた古高は、京大火計画を自白。
これが新選組の名を世に轟かせる池田屋事件の発端になりました。
(2007年5月27日UP)

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